劣等感が強いとどうしても排他的に可愛がられるのが嬉しい

会社は給料さえもらえればいいなどと言う人は、実は家庭に価値などおいていない。
大切にしたかったのは家庭ではなく、自分の歪んだ自尊心なのではないだろうか。

家庭は自分の劣等感を和らげてくれる手段でしかないのである。
本当に家庭を大切にする人は、会社の価値を高めようとする人である。

こういう人間こそ、ひとたび自分の利益に自分の部下が奉仕しなくなった時には
その人を徹底的にいじめる。

もともと排他的にある人達を愛するという上役は、人生全般に深い憎悪を
持っているのである。

自分にお世辞を言ってくる者のみを極端に可愛がったりする人は、
もともとその世界を一歩出れば社会的信用のない人だと思っていいだろう。

生活全体が根本的に憎悪によって彩られているので、
他人がぎりぎりのところにくればその人を信用しないのである。

どんなに微笑をふりまき、愛想をよくしても、人々はそこに何か
不自然なものを感じて最後の人間的な温かみを感じない。

周囲の人はそのような人には表面上はにこやかに接するが、
いざという時には行動を共にしない。

表面上はうまくいっていても、周囲の人は最後のところで何か
その人を信じられないでいる。

排他的に自分を可愛がろうとする上役の心の中にある憎悪を、
はっきりと読み取れる人と読み取れない人とがいる。

劣等感が強いとどうしても排他的に可愛がられることが嬉しくて、
眼がくらんでしまう。そしてその上役の意を迎えるために献身的になる。

異常な結びつきが生じ易い。
このような排他的な結合は周囲に不愉快であるのは当たり前であろう。

そのような上役は、おそらく幼児期に何らかの深い心の傷を負い、
それが癒されぬまま四十歳、五十歳になってしまったのだろう。

しかも始末に悪いことに、その人自身は自分の中にある深い憎悪に
気がついていない。自分は心の温かい人間だと思っている。
生活全体が憎悪に彩られていても、愛情に満ちていると狂信している。