実際に愛されていても信じられない

本当の愛とは、「あなたが私に何もしてくれなくても、私はあなたに
満足している」ということではないだろうか。

神経症的傾向のある人間が、もし救われたいと思うなら、「あなたに何も
要求しない。それでも私は満足している」と言ってくれる相手と恋する
ことである。

小さい頃、愛されなかった人こそ、本当に愛される場を求めなければ
ならないのである。

小さい頃、愛を求めることができた人は満足しているから、他人から
求められようとして自分を犠牲にしない。

しかし、小さい頃、愛を求めることができなかった人は、大人になって
他人から求められようとして犠牲にしてしまうのである。

小さい頃、愛を求めることができた人は満足しているから、ある人に
好かれないかも知れないと不安になることはない。

しかし、小さい頃、求めることができなかった人は満足していないからこそ、
ある人に自分は好かれないかも知れないと不安になってしまうのである。