不幸を想像して不幸になっている
くよくよする人は、どうなるか分からない未来のことをよく心配する。
これから降りかかるかもしれない様々な不幸を、一度に思い浮かべて
弱音を吐いたりする人は、不幸に対する準備をしない。
実際にその不幸を避ける努力をしない。何もしないでただ不幸を嘆いている。
そして職場のトラブルに悩みながら、同時に親戚縁者とのトラブルを
嘆いている。その上に隣近所の人とのトラブルまで考え出す。
そしてもうダメだと思う。降りかかるトラブルは自分の限界を超えていると思う。
しかし様々な不幸を、一度に全部思い浮かべたりしてはいけない。
家中が散らかっている時には、眼の前の一角だけを片付け始めれば良い。
いつか気がついたら片付いている。
不幸に対する準備をしないくらいなら、不幸については考えないことである。
しかし現実には不幸に対する準備をしない人ほど様々な不幸を想像する。
こういう人は不幸がこないようにとただ願う姿勢である。
その姿勢がかえって不幸を招くことがある。
それよりもまず、何故このような不幸が来る可能性を作ってしまったかという
原因を追究することである。その原因を無視しては、不幸が来ないようにと
願う姿勢は意味がない。不幸は来てしまう。
そういう人は対人関係にも自信がない。人と付き合うと、「この人は
私のことを好きかしら?」と考える。このように疑うことがすでに不幸である。
不幸を原点にしないことである。そしてこのように考えるから、
こんなことを言ってはいけないと引っ込み思案になってしまう。
不幸を拡大していく。すべての言動が不幸を想定してのものにすぎない。
不幸を想像して不幸になっている。