人は誰でもイヤな時はイヤと言っていい

「押しつけられタイプ」の問題はどこにあるのだろか?
それは、嫌いな人にも好かれようと努力していることである。

あるサラリーマンが同僚に「帰りに一軒行こう」としつこく誘われて
いやいやながら付き合うことになった。

その「一軒行こう」と言う人が彼は嫌いなのである。
好きならストレスにはならない。好きな人なら楽しい。
楽しいからストレスの発散になっている。だから家に帰ればよく眠れる。

この「押しつけられタイプ」は周囲の人が嫌いなのである。
そして自分が嫌いだということを、相手に気づかれまいとしている。
もちろんこれは無意識の領域での出来事である。

「押しつけタイプ」は、イヤな時には何も考えないでイヤと言う。
相手の感情を害しはしないかとなどと余計なことは考えない。

それに対して「押しつけられタイプ」は違う。
イヤと言おうとして、イヤと言う理由がない時に、イヤと言っては
いけないように思う。そしていやいや何かを引き受ける。

しかしその時に、イヤと言う理由が見つからなくても実はイヤと言う
理由はある。「何故だ?」と聞かれれば「イヤなものはイヤ」と言えばいい。

だいたいイヤだと言っているのに、「何故だ?」と聞く方が失礼なのである。
「何故だ?」と聞かれること自体、重んじられていない証拠である。

「押しつけられタイプ」はイヤと言って断ると、嫌われると思うから引き受ける。
しかしその後で面白くない。ストレスになる。

ストレスの一つの原因は、「人によく思ってもらおう」としてイヤなことを
引き受けることである。

ストレスの原因は、自分の中の人に気に入られたいという気持ちにある。
それも嫌いな人にすら気に入られたいという気持ちである。
人は誰でも、好きな人に頼まれたことをするのはそれほど苦にならない。