「こうあってほしい」という親の期待から逃れるために

自分を大切にするということの本当の意味はなかなか分かりにくい。
それは神経症的要求のみが感じ取られて、肝心の自分というものが
感じ取れないからである。

絶えず自分を責めている人は、責められている自分の立場に立って
物事を考えたことはない。

その自分を責める神経症的要求とは一体何であろうか。
それは神経症的な親の、あなたへの期待ではなかったか。

神経症的な親の要求にあなた自身が固執することで、いよいよその要求を
あなたにとって絶対の現実にしてしまったのである。

それと反比例したのが実際のあなた自身である。
神経症的要求に耳を傾ければ傾けるほど、あなたは実際の声が
聞こえなくなってしまった。

神経症的な親は、「こうあってほしい」という子供像を、
あなたを通して見ていたにすぎない。

実際のあなたを、あなたの親は見ていなかったということは、
驚きではなかろうか。

あなたの親は、「こうあってほしい」という子供像に固辞していたので、
実際のあなたとはかかわっていなかったのである。

親が愛したのは、「こうあってほしい」という子供像であって、実際のあなたではない。
その親に対して、あなたはどう反応したか。

あなたの意識は「こうあってほしい」という子供像に占領された。
そして実際のあなたは無意識に追いやられた。

あなたが人生を、楽しく生き甲斐を持って生きるためには、あなたが
神経症的人間達によってどう感じさせられたか、ということを明確にすることである。

あなたが、感じさせられたままに感じている限り、地獄は続く。
つまり完全を求めて自分を責め続ける。

神経症的親からの悪影響を逃れるということは、感じさせられたままに
感じ続けることをやめるということである。