育った家庭は周囲から浮いていた

病む者を出す家庭は、どこかで周囲の環境から異なったものとして
遊離しているという。
周囲の環境から異なったものとして遊離するのには、経済的な要因もあろう。

ある論文には、父親が病気で家庭の経済的地位が低く、
変わり者という社会的位置があった、などという例がある。

異なったものとして遊離しているだけに、その家庭内の結束は大変強い。
周囲に対して家族の威信を高めたいという願望をもつ。

その願望をもとに相互にしがみつく。
そのように家庭内の結束が強いといっても、そこに心の交流があると
いうことではない。

不安からお互いにしがみついているということである。
外に対しては自分達の威信を高めること、または、すでに威信があるなら、
それを維持することに努力する。

そして、いつも自分達は一緒なのだ、という考え方をする。
それ以外の考え方はできない。

「我々は一緒なのだ」ということ以外考えることができない状況では、
子供が一対一の関係で信頼をもつことはできない。

知らない人が、ちょっと外から見たら、理想的な家庭なのである。
しかし、その中は腐っているからこそ、そこから患者が出るのであろう。

ただ、ちょっと冷静に観察すれば、その人達の言動に、
どことなく不自然さを感じることも確かである。

このような家庭は、外への対抗意識が強い。
外への対抗から、何とか家の威信を高めたいと願う。

同時に嫉妬深い。他人の威信を認めることができない。