一つの幸せしか知らない人の悲劇
もっと幸せにならなければと幸せを強迫的に焦って求めている人は自分のない人である。
幸せを強迫的に求めている人は今日10万円あったら、明日は30万円なければと思う人である。
なんのためにそのお金を使うかが分かっていない。
「幸せになりたい」と思うのは正常である。
「幸せにならなければならない」と思うのが神経症の人である。
「もっと幸せになりたい」と思う人は心に葛藤のある人である。
本当に幸せを知っていれば「もっと」とは思わない。
幸せを強迫的に求めている人は「何をしたいの?」と聞かれたら、何をしたいか分からない。
今まで与えられたもので生きてきた。自分で選んだものは何もない。
「これあげる」と言えばもらった。「掃除をしなさい」と言われれば掃除をした。
そして愛を知らないから自分を認めてもらうことが何よりも嬉しい。
そして心理的におかしくなった。
幸せを強迫的に求めている人は「もっと~しなければならない」という焦りがある。
それを見て、心理的に健康な人は「なんでそんな無理をするの」と思う。
「このお菓子を食べたら美味しかった」、そう感謝するから幸せがくる。
そういう幸せが幸せを強迫的に求めている人にはない。
世の中にはいろいろの幸せがある。やすらぐ幸せ、休む幸せ、心地良い幸せ、弾む幸せなど。
幸せを強迫的に求めている人は一つの種類の幸せしか知らない。
得する幸せとか、出世する幸せとか、勝つ幸せとか、財産を築く幸せとかしか知らない。
所詮これらは同じことである。
饅頭を一個食べてもうお腹が張っているのに、もっと食べなくては損だという気がして
何十個も食べて胃をこわすような人である。
饅頭を一個食べて満足すれば、お寿司もあるよ、肉もあるよと、ほかに眼がいく。
一つの幸せに満足すれば、次の幸せに眼がいく。