努力とか、頑張るとかいうことだけで心理的な問題は解決しない
憂鬱になる人というのは、おそらく幼い頃の感情が未処理なのだろう。
食べ物で言えば胃にもたれているのである。
食べた物がまだ胃で消化されていない。
幼い頃に味わうであろう感情が抑圧されて本人に意識化されていない。
心理的に健康な人は、それぞれの時代の感情が消化されて胃が軽くなっている。
幼児のときには幼児の、少年のときには少年の、青年時代には青年時代の感情を味わって生きてきた。
それぞれの時代にそれぞれの時代の心理的課題を解決してきた。
それぞれの時代の心理的葛藤をそれぞれの時代に解決してきた。
従って健康な人は軽くて明るくて強い。心理的に病んでる人は重くて暗く弱い。
明るい暗いは別にすると、軽くて強いか、重くて弱いかである。
何かあると急に憂鬱になるような人は重くて弱いのである。
それぞれの時代の感情が未処理なのである。そして性格は真面目で勤勉である。
ここで大切なのは自分の生真面目さの解釈である。
自分は何故そこまで堅苦しくて真面目なのかという真面目さの原因を正しく知ることである。
それはおそらく幼い頃の何らかの挫折体験と結びついていないだろうか。
幼い頃親に自分を理解してもらえなかった。
親自身が自分の心の葛藤を解決することで精一杯で、子供は親の心理的葛藤を
解決する手段でしかなかった。
親は子供そのものに対する関心を全く持っていない。
自分の愛情飢餓感から子供に過干渉になる、あるいは自分の劣等感から子供に
称賛を要求する、いずれにしても子供への関心はない。
自分の心の葛藤に気を取られて子供どころではない。
そんな神経症的親に育てられたりすると他者から関心を持たれたいという願望は満たされていない。
そしてそのような願望を満たすために生真面目、勤勉、努力家なのではなかろうか。
そして相手の期待に応えようと自分を犠牲にする。
さらにそのような努力によって相手の関心を得られないと絶望する。