大人になって子供のように騒ぐわけにはいかない
自分に自信のない人は、未知の人、あまり自分に近くない人に
対しては必要以上に恐縮する。
しかし近い人に対しては逆である。近い人に対してはわがままである。
近い人が自分の利益にかなうような動き方をしないと、すぐにふくれる。
家族の者などに対してすぐに不機嫌になる。
外の人に対しては、ほんの少しのことにも恐縮するのに、
なぜ近い人に対してはわがままな利己主義者に変わってしまうのだろうか。
それは一方で、自分は他人の世話になるに値しないと感じつつ、
他方で子供の頃の欲求が満たされずに残っているからである。
自分は他人の世話になるに値しない、他人が自分のことを心配したり
世話してくれるのは慈善である、そんな風に感じたからといって
子供の頃の欲求がなくなるわけではない。
自分は他人の好意に値しない人間であるという思いは、その子の自分についての感じ方である。
しかしその子は、あくまでも普通の子としての欲求を持っている。
ただそれにもかかわらず、自分のことを他人の世話に値しないと感じているだけである。
その子は、大人になっても心の底にはまだ子供の頃の甘えの欲求を持っている。
自己中心的なものの感じ方、自分に注目してもらいたいという欲求、
際限なく自分を受け入れてもらいたいし、自分が話しはじめたら他人は
話をやめて自分の言うことに耳を傾けてもらいたい、と思っている。
小さな子供は、自分の欲求が他人の欲求より優先するのが当然だと思っている。
自分がおもちゃを買いに行きたいと思えば、それを第一にするのが当然だと思っている。
そうした幼児期の甘えの欲求が満たされ、理解され、他の子供の欲求とぶつかりあい、
色々なことがあって成長する。
しかし、そのような小さい子供の自己中心的な欲求が全く満たされず、
ただ抑えるだけ抑えられて、他方で自分は他人の世話になるに値しない
人間であると感じて大人になる。
これが内づらの悪さと外づらの良さではないだろうか。
内づらの悪さが出てしまうのは、近い人達に対してはその子供の頃の
満たされない自己中心的な欲求に動かされてしまうからであろう。