人はそれぞれ違う
「人はそれぞれ違う」ということは、憎しみの感情を処理するときに大切な観点である。
憎しみをもつのはいじめられる立場に置かれたときである。
人は憎しみにとらわれると、自分の長所を忘れて仕返しの行動に出ようとする。
あるいは追いつめられて無気力になる。憎しみを心の底にため込んで憂鬱になる。
最悪は自殺である。
子供には悔しさはあるが、憎しみの感情はない。それはそのときに悔しさを発散できるからであろう。
憎しみは悔しさが根雪のように心の底に積もったとき生まれる感情である。
子供の悔しさは自分を認めてくれないときに感じるものであろう。
おそらく人が最も憎しみをもつのは、人質を取られたような弱い立場に追い込められたときだろう。
まさに、どうしようもないときである。
人は自分が弱い立場に立たされていじめられたときに、心の底から相手を憎む。
他人から迷惑を被りながら、最後には自分が悪いことにされてしまう。
そんなときは悔しい。悔しくて気が狂いそうになる。そうしたときに仕返しの行動に出そうになる。
あるいは仕返しができなくて、憂鬱で落ち込みそうになる。
そんなとき「戦えばいいでしょう」という人は、本当に辛い思いをさせられたことのない人である。
弱い立場を経験したことのない人達である。戦うという行為は対等の立場のときにはじめて可能である。
けんかができるのは幸せなときである。けんかができれば憎しみの感情は処理できる。
けんかをすれば相手の思うつぼにはまるだけということもある。
むしろ相手はけんかを仕向けてくることもある。
人はいじめられながら戦えば、もっと苦しいところに追いこめられるということがある。