親と子であっても、憎しみの感情はある
なぜか心から楽しめない、理由もないのに不機嫌になる、
しかし相手と決定的に対立し抗争する気もない、
完全に縁を切る気もない、そんな人がいたら、その人との関係を徹底的に分析することである。
その人との歪められた関係の結果として、あなたはなぜか不機嫌に苦しんでいるのかもしれないのである。
自分の中に憎しみを閉じ込めてしまうのには色々な原因があるが、
その一つには人間についての誤ったイメージがある。
人間の自然な感情であって、別に責められるべき感情ではないのに、
何かそれが許されないもののように感じていることがある。
例えば、親と子は血をわけているのだから何につけても一体である、と信じている人がいる。
親と子は確かに血をわけているし、普通の他人より関係は深い。
だからといって親と子があらゆることについて一体である、などということはありえない。
母の愛は無条件だなどと、信じている人もいる。しかし母であっても時に自分の子供を憎らしいと思う。
自分が眠っていた時、何回も赤ん坊の声に起こされれば母親でも憎らしいと思うのが自然な感情である。
夜中にいつもいつも起こされて「ああ、この子は」と嘆くことと、
その子供を愛してることとは別である。
その母親が赤ん坊を愛していないなどということでは決してない。親と子であっても、憎しみの感情はある。
それは親も子も知るべきである。その感情は自然な感情である。
その自然な感情に眼をそむけてはならない。
その自然な感情があるということは、決してその子が親不幸であるということではない。
そうした自然な感情について、あまりにも強く長く抑圧していると、ある時爆発する。
親と子は確かに一方では特殊な人間関係だが、他方では普通の他人と同じ人間関係でもある。
したがって、親子だからということで、赤の他人だったらするであろうような努力を決して怠ってはいけない。
話しあわなければ分からないことも多く、親も子も「親子だから」ということに甘えすぎている。