自分の望みと親の期待はいつも違っていた
ある親は子供を愛していると信じていた。
しかし、子供はただの一度も親に勇気づけられなかった。
なぜか?
それはその親が一度も、子供が何をこの人生で望んでいるかを知ろうとしなかったからである。
まず自分の夢、考え方を子供に押しつけ、それを実現するよう要求した。
少しでも親の気に入らないことをすれば、ひどく拒絶された。
不機嫌、嘲笑、失望のため息、無言で睨みつけられる等々。
試験で少しでも成績が下がり、親の期待にはずれれば、
「どうしてお前はこんなにダメなんだ」と叱責された。
子供は、やがて大人になり、ふと気がついて驚いたことがある。
生まれてからただの一度も、自分の欲しいものは何かと考えたことがなかったのである。
具体的に自分の欲しいものを思い描いたことは一度もなかった。
いつも何を欲しがれば、親に気に入られるかということだけを考えて生きてきたのである。
無意識のなかで自分の望みと、親から押しつけられた期待とがいつも違っていた。
おそらくこのことが、自分は責められているという感じ方を
どうすることもできなかった一つの理由であろう。
自分の望みはとるに足らない、自分の考え方は人に伝える必要はない、
自分の感じ方はとるに足らないと思い込んでしまった。
そのような思い込みが、どのくらい人を委縮させるか分からない。
人前に出れば、いつもビクビクしていなければならなかった。