幸せすぎると妙に気がひける

自分が生きることを楽しみ、自分が幸せいっぱいになる時
障害になるのはどのようなことであろうか。

それはやはり、幼い頃の体験なのである。幼い頃、例えば父親が病気になった。
それでも子供は楽しく遊んでいた。そんな時、母に怒られる。
「こんな時になんですか、そんなに笑って」と。

また、世の中には、他人の不幸によってなぐさめられる人がいる。
そんな人の中で幼い頃育ってくると、自分が楽しむことを自分に許せなくなる。

そうしたなかで育つと、惨めそうにしていたり、メソメソしていると
可愛がってくれた、などという体験をもつことになる。

淋しそうにしていると人から愛される、などということを、心の中で覚えてしまう人もいる。
そうなると、なかなか自分が幸せいっぱいになることを、自分に許せなくなる。
自分が幸せすぎると妙に気がひけて、何か悪い事をしているような気にさえなる。

大切なのは、そのような悪い記憶の一掃である。
そして、新しく自分の心の中にインプットするのである。

生きることを思い切り楽しむのは良いことだ。
嬉しい時には思い切り嬉しさを表現することは良いことだ。

そして、自分を惨めに見せることで他人の好意を期待することは
止めようと自分に約束することである。

そう決心し、そう生き出した時、世界は違って見えてくる。

ある人から好意を得ようと自分を惨めに見せていたとする。
しかし、そのように決心し、そのように生き出すと、不思議に
そのある人からの好意が自分に必要なくなってくるのである。

そして、なんであんな人から好意を得るために自分を犠牲にしていたのか自分にさえ分からなくなる。
また、その人から好意を得るために、自分をどのように犠牲にしていたかも分かってくる。