信じたいけど信じられない
相手を信じるということは、自他の受容ができている人にとって可能なことである。
相手を信じる、相手を信頼するということは、受け身の人間には案外できるようでできない。
だからこそ、受け身の人間は恋をしてもしつこくなる。
相手の言うことを信じたいのだけど信じられない。
そこで、繰り返し繰り返ししつこく相手の言葉の正しさの証拠を得ようとする。
恋人から「好き」と言われれば、受け身の人間であっても嬉しい。
そこまでは能動的な人間と変わりない。
しかし、受け身の人間は、そこからしつこくそのことを確かめようとする。
「本当に好きなの?」と聞く。
そして、「だってあの時はこんなことをしたではないか」と疑問を投げかける。
疑問を投げかけながら、相手がそれを否定することを期待している。
さらには、「この間はあの人とこんなことをしていたのではないか」
「あの人の方が好きなのではないか」と嫉妬をはじめる。
もちろん、これも相手が否定してくれることを望んでいるのである。
そして望み通り相手が否定してくれたから、それでは相手を信じられるようになるかというと
そうではない。信じられない。
そして、いつもいつも、このように相手にしつこく自分への愛の感情の証明を迫る。
この過程で、好きであった人も、逃げ出したくなるということがある。