忍耐力はいいことでも悪いことでもない

何かをしていてそれが苦にならない時には、それが本当の自分である。
人に会うことが何にも苦にならない人がいると思えば、
人に会うことが苦手で、とにかく人に会わないで済む職業につこうとする人もいる。

絵を描くことが好きで、手紙にいつも絵を描いている人もいる。
絵を描くことが全く苦にならないのである。

ところが絵が苦手で、言葉以外はコミュニケーションに使わないという人もいる。

筆まめな人もいれば、筆無精な人もいる。
人はどんなに成功しても、本当の自分に適合した生き方をして、
本当の自分に適合した職業についているのでなければ幸せにはなれない。

ある男性は、大学生の時、間違った選択をする。将来の職業をどう選択すべきか迷っていた。
そんな時、仲間が勧めたのがいわゆる取りやすい専攻科目であった。
彼は自分の本当の長所を知らなかったために、専攻科目を間違える。

彼は最高の成績を取ろうとしたが、取れなくて他人の提案に飛びついたのである。
それゆえ、およそマスター出来そうにないことをマスターし始めることになった。

忍耐力で障害と戦ったのである。しかし、ついにマスターすることは出来なかった。
彼は長所を誤用した結果、次から次へと職を失った。学生時代に悪い決定をしたために、行き詰まっていた。

間違った選択をしたうえで、忍耐力で頑張るといよいよ泥沼に陥る。
忍耐力はいいことでも悪いことでもない。
望ましい選択をした時には望ましく、間違った選択をした時には忍耐力は傷を深くするだけである。

努力とか忍耐はそれだけに危険なものである。
大切なのは何でその適さない職業を自分が選んだかという理由である。

その理由をハッキリさせないと次にもまた同じように不適切な職業につく。
たいていの場合には劣等感である。
先見力の欠如と劣等感、これが優れて真面目な人を滅ぼす。