人によって感じ方は違う
同じ年齢で家を買った人が二人いた。そのために銀行から3000万円を借金した。
一人は「この年齢で、3000万円貸してくれた。自分には社会的な信用があるのだ」と
思った。そう思って、元気になった。
そして欲しいものが手に入ってよかったと思った。
逆にもう一人の人は「この歳で3000万円も借金を抱えた」と眠れなくなった。
借金が怖くて下痢が続いて最後はノイローゼである。
ローンのような大きな問題でなくても同じである。
楽観主義の夫と悲観主義の妻が、毎月もらう給料のことで話している。
同じ給料の額の話をしても、楽観主義の人と悲観主義の人では受け取り方が違う。
事実として同じ話題が悲観主義の人にとっては辛い苦しい話題であり、
楽観主義の人にとっては決して苦しい話題ではない。
それは悲観主義の人は今の給料が下がることを予想しているし、
楽観主義の人は今の給料が上がることを予想しているからである。
その話題が辛いか楽しいかは、給料がいくらという事実が問題なのではない。
しかし会話をしていてその話題が辛い人は、話題が嫌な話題と思っている。
しかし話題が事実として嫌いなのではない。
その人の解釈や性格が話題を嫌な話題にしているのである。
人は自分のそのときの気持ちが唯一の気持ちのあり方と思っているが、
その事実に対しての気持ちには色々な他の可能性がある。
どう感じるかは人によって違う。