無理をして笑顔をつくる必要はない

今過去を振り返って、過去に接した人々を心の中で好きか嫌いかを思い出して欲しい。
接している当時は好きと思っていたけれども、今から考えると嫌いであったとか。
接している当時は誠実な人と思っていたけれども、今から考えると不誠実な人であったとか。

逆に、接している当時は嫌いと思っていたけれども、今から考えると好きであったと分かるとか。

そうして点検していっても、好きだか嫌いだかも分からない人もいるだろう。
そうしたら「今、その人に会いたいか」を自分の心に尋ねてみる。

利害関係がなくなった今、会いたくなければ好きではなかったのだろう。
懐かしくて会いたいと思えば、好きであったと考えて良いだろう。

そしてもうその人達との関係は終わったと心の中で整理する。
電話がかかってきても、八方美人になって無理をして会う必要はない。

楽しくもないのに楽しそうに笑顔になり、賛成でない意見に賛成し、
エネルギーを消耗することはない。

また無理をして会うのでは、心の中で整理したことにならない。
心の中で人を整理するのは、もう余計な悩みに苦しまないためである。

そして今は、その会いたくない人と、なぜ当時接していたのか?
どのように接していたのか?それらのことを考える。

それは自分を知るためである。自分が気がついていない自分に気がつくためである。

つまり、そこまで会う必要がないのに当時は頻繁に会っていたとか、
無理をして会っていたとか、いろいろなことを考えてみる。

そしてそれはなぜか?
それは自分の劣等感のためであったとかいうことが分かるときもあるだろう。
その人がいる世界に劣等感を感じていて、その人達と会うと自分の劣等感が
癒されたとかいうことがあるかもしれない。

嫌いな人に、無理して頻繁に会っていたのは、淋しさのためかもしれない。
嫌いな人とでも、お金も時間もエネルギーも無理をして会うのは
一人でいるよりも、そのほうが満足できるからであろう。癒されるからである。

もしそう感じたら、自分はあのときに孤独だったのだと自分に気づく。
自分は自分の行動で自分を満足させることができない人間だったのだなと気づく。

そして一人の世界を築く努力をする。
一人では淋しいからといって嫌いな人に無理をして会うよりも
一人で本を読むとか、一人で料理を工夫するとか、何でも良いから
一人の世界を楽しむ習慣を身につける。

心の中で人を整理した後は、淋しさとか、劣等感に負けない自分を
創る努力をする。自分の満足は自分の行動で得る努力をする。

この人に認められないと、一体自分に何が起きるのか?と考えてみる。
すると何も起きないということに気がつくのではないか。
しかし八方美人な人は、何か大変なことが起きると根拠なく漠然と恐れている。