過去にとらわれることでどれだけ人生を貧しくしているかわからない

過去にとらわれる恐ろしさは計り知れない。
過去のカテゴリーにとらわれることで、人はどのくらい自分や親しい人達の
人生を破壊しているか分からない。

単純な話、親は自分の子供が名門と言われる学校に入れなかっただけで
名門の学校に入れた子供より能力が低いと思いがちである。

確かにその名門の学校に入る能力については劣っていたかもしれない。
しかし人生を生きていく上でその能力がどれほどの意味を持つかも考えないで
子供の能力を低く評価してしまう。

その結果、子供はそれ以外の能力を発揮することなく人生を生きていくことになる。
子供は自分の能力を発揮する機会もなく活気を失って生きることになる。

子供は「暗記をする能力」と「何もないところで遊ぶ能力」とを
同じ能力として判断されてしまう。

そして暗記をする能力のないその子供は、それ以外の重要な能力も
「ない」と評価されてしまう。

しかしその子が大人になって社会で働き始める時に、どちらの能力が
仕事の上でより必要とされるかは分からない。

よく学校の成績と、卒業してからの仕事の能力とは違うという。
そして学校の成績の悪い人が社会に出てから成功した例を挙げる。

しかしこのときにその人の重大な性質が無視されている。
それはその人が既成の概念にとらわれず多くの視点から物事を見られる人
であるという点である。

もしその人が既成の概念にとらわれていたら、「学校の成績が悪かった」という
過去にとらわれて自分の才能に自信を失い、新しい物事に挑戦していく活力も
なくしてしまう。

自己実現している人の特徴として、にもかかわらずということが挙げられる。
私は学校の成績が悪かった、にもかかわらずという考え方である。

かなりの人が、心の底で若い頃の学校の成績に影響されながら、この長い人生を生きている。

学生のとき親に認めてもらえなかったとか、成績が悪かったとか
恋人に酷い振られ方をしたとかいうことが心の奥底で影響して
人に対して自信のある態度を取れない人もいる。

過去のカテゴリーで人も自分も判断しないこと、この姿勢が楽しく充実した
人生を送るためには必要である。

学生時代には学生時代のカテゴリーで先生も仲間も自分を評価した。
初めての仕事ではその会社の過去のカテゴリーで自分を評価した。

そんなことで自信を失うことはないのである。
むしろ反省すべきは自分のそうした思考回路である。