「面」で見ることで人間関係の構造は明らかになる

ある家のお嫁さんが小姑に毎日毎日嫌がらせをされていた。
お嫁さんは毎日毎日我慢をしている。

お嫁さんは我慢我慢で消耗し、やせ細ってくる。
食事も喉を通らなくなる。夜も寝られなくなる。

それなのに嫌がらせをしている小姑は元気である。
お嫁さんを苛めることで心を癒しているからである。
イライラを発散している。

逆に我慢をしているお嫁さんはやつれていく。
その事情を知らない周囲の人は、愛想を振りまく小姑をいい人だと思っている。

そこでお嫁さんがキレて何かとんでもないことを叫んだとする。
すると周囲の人はそのお嫁さんを酷い人と思うかもしれない。

世の中の判断は常に「点」で行われる。
誰がお嫁さんをそこまで追い込んだのかという見方はしない。

せめてその前後の「点」をつないで「線」で判断してくれればいいのだが
多くの場合の判断は「点」である。

小姑の日頃の行動はどうだったのか、お嫁さんの日頃の行動はどうだったのか
という視点で物事を判断していかないのが世の中である。

「線」ではなくさらに「面」で見ることが、人の評価には必要である。
「面」でみるとは、「そもそもその家の人間関係の構造はどうなっていたのか」
ということまで含めた判断である。

だいたい、「点」で判断すると間違っている人の方が、
「面」で見ると実は正しいことが多い。

「お婆ちゃんが実験を握っていて、他の人はその支配に服従している」
などから始まって、その家の人間関係の構造が明らかになることで
お嫁さんと小姑のどちらが悪いか判断できる。