好きなものが見つからない

世の中にはスポーツを楽しむ人がいる。
しかしうつ病者にとってスポーツをすることは辛いこと以外の何物でもない。

スキーも義務であるなら出来る。しかし趣味としてのスキーをするなどと
いうことは考えられない。スキーをすべきであるならスキーも出来るが、
しなくてもいいものならわざわざスキーをする辛さには耐えられない。

スキーが仕事の付き合いでならできるが、仕事の付き合いでないなら
辛いだけである。仕事の付き合いでなら出来るがということは、
それが自分の出世に結びついているからである。

或いは健康のためにいいというならする気にもなるが、
楽しいからするということは決してない。

スキーがそれらのいずれでもないならスキーは辛いだけである。
それでももしするならその後では、何でこんな無駄なことをしたのだと
心理的に焦るだけである。

時間を無駄にしたことでイライラするだけである。
人が楽しむスポーツをしても、その人にとってはやりきれない憔悴感と
疲労感と腹立たしさしかない。

歌うこともスポーツすることも、それが最後には自分の不安を解消することに
結びついていなければ気持ちが持たない。

よく好きなものが見つからないという人がいる。確かにそうなのだけれども
好きになれないという方が正しい表現である。

好きなものが見つからないのではなく、何も好きになれないのである。
その原因として考えられるのはやはり幼い頃余りにも抑圧が強すぎたと
いうことである。

感じるように感じることを固く固く禁じられたということである。
幼い頃家庭の中で、その時その時でどの様に感じるべきかということを
余りにも厳しく要求された。