自分を犠牲にするクセがついてしまう

幼い頃、親が神経症的で、子供に神経症的要求をつきつけるとする。
親は神経症的で親の要求は全て叶えられるべきであると思っている。

子供は自分に仕えるべきであると思っている。
子供は自分の手伝いをすべきであると思っている。

自分の言うことは常に正しく、質問などされるべきではないと思っている。
自分が尊敬されたければ、自分を尊敬しない子供は許し難い。

自分は他人と同じように考えられるべきではないと信じている。
したがって、自分を他の大人と同じように考える子供は許し難いし、
自分を例外として考える子供は可愛い。

自分が何かをしようとしたら、子供は自分に協力すべきだと信じているし
自分が誘えば、子供は他の全てを断ってでも自分と一緒に何処かに
行くべきだと信じている。

自分が手助けを必要としている場合は、とにかく子供は全てを
犠牲にして自分を手助けするべきだと信じている。

たとえその子供がすでに成長して結婚していても。

他人の必要性は無視されている。
とにかく自分が何かをしてもらいたいと思ったら、相手は全てのことを
放り出して自分の必要を満たすべく努力をすべきだと信じている。

もしこのような神経症的親に育てられたとしたら、その子はどうなるだろうか。
子供はとにかくまず相手の要求を叶えるべきであると感じるように
なってしまうのは当り前であろう。

自分は何をしたいか、などと考えるのはとんでもないことで、
相手の要求をまず満たすことを考える。

考えるというよりも、それをしなければならないと感じるような
人間になってしまう。

そこで大人になってからも対人関係において自分を犠牲にする
クセがついてしまう。

自分を犠牲にしている時が実は一番心安らかなのである。