凡人は愛のために頑張る
この道は正しいと自分が信じて歩いていて穴に落ちた。
そうすれば、穴から這い上がる気力はある。
しかし、「こっちよ、こっちよ」と周囲の誰かから言われて、穴に落ちた。
そうすれば穴から這い上がる気力はない。
つまり、だまされたときには這い上がれない。
自分の意志で歩いていて、穴に落ちた人は這い上がれる。
表面的には好きでも、無意識の世界では嫌いな人のために山坂越えて
歩いてきて穴に落ちた人は、悔しくて這い上がれない。
そこで「つらかったでしょうね」と言われてエネルギーが出る場合と、
こう心をくみとられて、また詐欺師にだまされる場合とある。
嫌いな人のために働いてお金をなくしたら、もう働く気力がない。
好きな人のために働いてお金をなくしても、また働く気力はある。
ここで言いたいのは、あなたは今なぜ落ち込んでしまったのかを
考えてもらいたいということである。
あなたは今までの人生で、本当に何かを望んだことがあるのか?
なかったのではないか。何よりもそこをまず解決することなのである。
しかし、これが神経症タイプの人にはなかなかできない。
日々の生活に満足がなく、心に焦りがあるからである。
日々のしていることに達成感がないから、毎日心理的に追われている。
自分自身の目標がないから焦るのである。
ある人がゴルフを始めたとなると、自分もゴルフを始める。
別の人が旅行に行ったとすると、自分も旅行に行く。
自分自身の目標がないと、このようにいつも不安定である。
人が株で儲けたと聞いて株を買おうとする生活を改めないで、
ただ焦りの心理をなくそうとしても無理である。
そうした生き方からは日々の生活の満足はない。凡人は愛のために頑張る。
子供のため、犬のため、友達のため、会社のため、恋人のため、
親のため、上司のため、部下のため。
それは何でもいい。
「これのために」頑張るという「これ」を見つけることである。