いじめられて燃え尽きたときには、周囲にはまともな人がいない
不安が不安である限り、それはその人の問題である。しかし不安は敵意と深く関係する。
そこで不安な人は周囲の人に影響してくる。不安な人と関わりあうと、ときに酷い目にあう。
不安な人の敵意が周囲の人には困る。こちらがいくら平穏に暮らしたいと
思っても、向こうから攻撃をしてくる。いやがらせをしてくる。
干渉してくる。口を出してきて、最後には罵倒してくる。彼等は常に人を批判する。
敵意があって人を妬んでいる人は、だいたいが怠け者である。
自分は働かないで、働いている人が得たものを妬む。
敵意ある攻撃性を持っている人には、不満な人と不安な人と二種類いる。
いずれにしても、自分で何か生産的なことをするということができない。
常に人と関わることで解決しようとする。自立ができていない。
彼等にとって弱い人を攻撃することが心の傷の癒しなのである。
心の葛藤を持つ不安な人にとって、弱い者いじめはたまらない。
この上なくおいしい食べ物である。
いったん不安な人から、おいしい食べ物として狙われたら、最後まで
食いつぶされる。いじめで死ぬ人がこれである。
「いじめられて死ぬ」というとすぐに新聞記事になるような子供の
世界のいじめを考えるかもしれない。しかし大人の世界でも同じである。
過労死はもちろんであるが、燃え尽きる人も同じである。うつ病の人もそうであろう。
燃え尽きる人は、敵意ある攻撃性を持った不安な人からいじめられて燃え尽きたのである。