不安であればあるほど心の状態を変えようとしなければならない
自分が軽蔑している人を周囲の人が尊敬した。それがすごく不愉快である。
周囲の人の態度に自分の気持ちが左右される。
周囲の人の態度で不愉快になったり、愉快になったりする。
親で言えば、自分がかけたプレッシャー通りに子供が動かない。そこで子供に怒りが湧く。
つまり自分の感情が外からの影響を受けやすい。周囲の人の態度に自分の気持ちが振り回される。
自分とは関係のない外側の事実で、自分の気持ちがどんどん変わってしまう。
外側の事実が、直接自分の気持ちを変えたのではない。
外側の事実に対する自分の解釈が、自分の気持ちを変えたのである。
ところが、本人は外側に何か自分をイライラさせるような事実があると思ってしまう。
不安であれば不安であるほど、人は外側の条件を変えようとする。
より安全な場所を求める。
しかしどんなに安全な場所を求めても安心できる場所はない。
「こうあってほしい」という願望が強すぎて他のことは考えられない。
こうして努力の方向を間違える。
人は不安であれば不安であるほど、実は自分の心の状態を変えようとしなければならない。
自分を変えることにエネルギーを注がなければならない。
自分を変えるとは、より自分自身になることである。
決して自分以外の自分になろうとする努力ではない。その努力で人は消耗する。
人が幸せになれないのは努力の方向が間違っているからである。
努力の方向が間違っているか、間違っていないかは、消耗の度合いで分かる。
消耗だけの場合には、努力の方向は間違っている。
努力が実るか、実らないかの基準は外側の成果ではない。
心の安定である。心の安らかさである。
どんなに外側の成果が輝くものであっても、心の安定を失っていれば、
それは間違った努力である。
今はよいかもしれないが、破滅の方向へ向かっている。