自分の過去を勇気をもって反省することで救われる

自分が最も恐れている焦点に眼をすえることができず、そのまわりを
ぐるぐるとまわっているような真似をしていたのでは、いつになっても
不安な緊張から真に解放されることはない。

最も恐れている焦点に向かって、ズカっと踏み込む勇気こそ
本当の自分を解放するためには必要なのである。

それができずに、他人を非難してみたり、自分より弱い立場のものに
あたりちらしたりしてみても、結局は、生きることが基本的に怖くてしかたない。

対人恐怖において、自己鍛錬法が失敗するのはこのためである。
肝心かなめの焦点から逃げているから、いかに自己を鍛錬してみても
対人恐怖はなおらないのである。

車のエンジンがこわれた時、車を動かすためにはどうしたらよいだろうか。
ラジエーターの水を変えればよいのだろうか。それともワックスで
車体をみがけば奇跡は起こるだろうか。

いくらワックスで車体をみがいてみても、エンジンが故障している以上、
車は動かない。車を動かすためにはただひとつ、エンジンの故障を
なおすことである。

故障をなおすためには、故障したところをなおさなければならない。

赤面するのが怖いという理由で、他人の前に出ることを避けているとどうなるか。
いよいよ自分への症状への恐怖心は増す。恐怖にもとづく回避の行動は
恐怖心を増すだけである。

逃げることによって挫折感を味わい、人前に出ることの恐怖心は増すだけである。

自分の過去を勇気をもって反省することで救われる人もいる。
見栄っ張りの親、見栄っ張りの親戚という現実を見抜く勇気をもつ。

事実を歪めることなく直視する、それこそが解決の道である。
事実を歪めて受け取って自己鍛錬しても、症状は悪化し、
いよいよ生きることは辛いことになる。