些細な体験を苦しみに結びつけているのは、その人の心の姿勢である

仕事に疲れて横になれば、すぐに効率よく休もうとする人がいる。完全主義の人である。

でも休もう、休もうとするから緊張して休めない。
すると効率よく休めないということを苦しみ始める。

休めない、休めないと苦しむ人は、体を横にしたとたん熟睡を始めて、十分間で疲労回復して
スッキリ目を覚まし、仕事を再開するべきであると思い込んでいる。
しかし現実にはそういうことはない。

休んでいるのだか、休んでいないのだか分からないという効率の悪さを、
完全主義の人は受け入れられない。

物事はそんなにうまくはいかないと不幸を受け入れている人は、気が急かないから、
かえって休める。

「こうあるべきだ」と思うからこそ、要領の悪さが苦しみとなる。
不幸を受け入れられない人にとって、要領が悪いということは、要領が悪いという
だけの話ではない。それが苦しみになる。

理想であるべきというのは災いの源である。自分について理想であるべきという
考えにとりつかれたとたん、人は心の安らぎを失う。イライラし始める。
何か面白くないという気持ちになる。

理想であるべきという考え方にとりつかれなければ、けっこう自分もよくやっている
のではないかと思える。

完全主義の考え方に陥らなければ、けっこう自分のよくやっていると思える。