生き方を教わっていない子供
良い子の親は、「自分がこの子にこんなことをしたら、この子は
大人になって苦しむのではないか?」と考えることが全くない。
自分のことに精一杯で、子供のことなど考えていられない。
つまり親は、全く子供を愛していない。
愛していれば、それは自然と考える。
考えるのが親だというのではなく、自然と考えてしまうのが親の愛である。
良い子の親は、自分の子供が十年後にどうなっているかを考えない。
淋しい良い子は、淋しい大人になって、ノーと言えずにずるい人々から利用される。
おだてられて働きすぎて燃え尽きている。あるいはその前に非行に走って
社会的に挫折しているか、無気力になっているか、無謀なことをして失敗している。
いずれにしても社会的には挫折している。
人間は幼少期に他者との交流の仕方を身につける。
迎合しか生きる方法を知らない良い子は大人になっても、その時その時を
うまくごまかして生きている。
それに対して、愛されて育った子供は生きる処世術を知っている。
生きる処世術は人間の本質を肌で学ぶことである。
どれが本物でどれが偽物かを見分けるのも知恵である。
その知恵はどこから得たのか。
それは一人でも生きていかれる子供に育って欲しいと願う親の教育からである。
子供は真の愛は、単なる綺麗な言葉ではないことを親から学ぶ。
愛されて育った子供は「あなたを愛しています」という言葉が愛ではない
ことを知っている。だから大人になってから言葉では騙されない。
知恵のある子供は、「あなたのために」という優しい言葉の裏にトゲが
隠されていることを知っている。
だから、甘い言葉と愛ある言葉の区別ができる。
誇張された俗っぽい愛の言葉が、いかに恐ろしいことかを肌で知っている。
だから愛されて育った子供は、大人になってからも簡単には騙されない。
愛は、その場その場で相手を言葉で喜ばすような、そんな安っぽいものでは決してない。