限界が分からないと達成感は得られない
努力をするのだが、その努力が実らない人がいる。
頑張っても、頑張っても、心の中は焦っている。
あれも欲しい、これも欲しいと焦っている。
死ぬほど頑張っても心の安らぎはない。
それは自分の基準がないからである。
自分は、ここまですれば良いという自分の限界が分からない。
そういう人は、どこまで頑張っても達成感がない。
何故か?
親から限界を教えてもらってないからである。
親は「この場合はこうするのよ」とか「これがあなたの限界よ」とか教えてくれる。
ところが神経症の親は、子供に限界を教えるということをしない。
だから誰と会っても、人と自分を比較してしまう。
自分の中に基準がないから、出会った人が基準になってしまう。
自分自身が基準でないから「今日はよくできた、よく頑張った」というようにならない。
自分自身が基準なら「今日はよく頑張ったな」となる。或いは「もう少し頑張らないと」
となる。
「自分がある」とは自分の器が分かっているということである。
自分の器が分かっていれば、自分に対して非現実的な要求をしない。
それが自分の基準があるということである。
基準がないから、親になったら今度は自分の愛をキリストのような愛と錯覚する。
そしてキリストのような愛でなければいけないと思いこむ。
こういう人は自分の限界が分からなくて走っている。