「自分は特別」という思考が自分を孤立させる

自分はただの人ではない、と思うことで自分の心の葛藤を解決しようと
する人がいる。

自分は普通の人ではない、と自分を栄光化することで、
自分が普通の基準で評価されるのを避けようとする人がいる。

このように自己栄光化によって心の葛藤を解決しようとするかぎり、
自分に対しては「~すべき」という考えが強くなり、他人に対しては
神経症的要求が出ざるを得ない。

現実の自分を現実の他人が、それほど注目してくれるわけではない。
それが彼には許せない。

神経症的要求を持つものは、自分が一市民であり、一社員であると
いうことが許せない。

しかし周囲の人は、その人を一市民、一社員として扱う。
彼らは規則にしたがって規制されることに激怒する。

ある事務所に行く。
係の人が「今日は終わりましたから明日にして下さい」という。
すると怒る。

係の人が「並んで下さい」という。
すると怒る。

神経症的自尊心の持ち主は、規則を嫌うという。
それは、規則は自分を特別の人ではないと知らせるからである。

彼らには、他の人と同じようにということが我慢できない。

ある小学生が列に並んで学校に通うことを嫌がった。
ある神経症の親が、その気持ちがわかると主張して、自分の子供を
列に並べて小学校に通わせるのを拒否した。

上司に対して、自分は一部下にすぎないということが、神経症者には
わからない。だから、いつも、上司に不満がある。

このような気持ちで人と接すれば、いつもイライラしたり、傷ついたりする。
そこで、なかには社会に接すると自分が傷つくから、社会に接することを
避ける人も出てくる。

またある人は、社会に攻撃的になる。
いずれにしても、このような人は社会的に孤立していく。

神経症的要求は、自己栄光化のなかに不可避的に含まれる性質である。