不当な要求に屈していては弱々しく感じるだけである

神経症的で支配的な人間の不当な要求に屈していると、
いつの間にかそれが習慣になる。

人間の心と言うものは、自分の行動の正当性をいくぶんかは
受け入れるものである。

つまりたとえ不当な要求であっても、それを受け入れて行動すると、
いつの間にかその不当な要求が正当に思えてくる。

いつの間にかその不当な要求に従ってしまう自分を自分が
受け入れていってしまう。

その不当な要求を拒否することも受け入れることもできる。
しかしその時受け入れるという選択をしたことで、
人はその選択から心理的に影響を受ける。

実行可能なもう一つの選択、不当な要求を拒否するということを
捨てたことで、それが何か間違っているとさえ感じてくる。

人間の選択は心に影響を与える。
人は自分自身の選択によって自分に影響をおよぼしている。

相手の不当な要求に屈するという選択をすることで、
人は自分自身を弱々しく感じるようになる。

不当な要求であっても相手の要求を拒否すると、罪悪感をおぼえる人がいる。
しかしその場で罪悪感をおぼえても、不当な要求を拒否するという
選択をしたことで、その選択がその人の心に影響を与えている。

従って時がたつにつれて罪悪感がうすれ、自分を強く感じるようになる。
つまり行動や選択はその場で感じたのと違った影響を心に与えるものである。

幼い頃から神経症的で支配的な人間の不当な要求に屈してきた人は、
その習慣化したいじけた行動に心理的に適応してしまっている。

そしてさらに、自分などは相手に何かを要求する資格はないと感じてしまっている。
自分の意見などはもともと価値がないと感じてしまっている。

相手から見捨てられることを恐れて、何であれ相手に同意するたびに、
その人は自信を失っていく。

同意することによって、心はそのことの正当性を受け入れてしまっている。
相手の不当な要求に屈し、自分の要求はたとえ正当なものであっても
主張できない。

そんなかたちで育ってくると、そうした心の状態が身についてしまう。
そしてそうしたあなたの奴隷的な心理状態にずるい人が群がる。