甘えの欲求そのものは、その人の中で消えずに残る
例えば幼い頃、親は自分の言うことに耳を傾けてくれない。
親は自分の言うことに親の不安と葛藤で反応してしまい、自分の言うことを
自分の言わんとすることにおいて聞いてくれない、という体験をする。
この無視されるという体験から、自分は愛されるに値しない人間だという
自信喪失に陥る。
しかし甘えの欲求は無視されることで満たされず、いつまでもその人の心に残っている。
すると、この甘えの欲求から「自分は特別に扱われるべきだ」「自分が困った時は
他人が責任をとるべきだ」という感じ方がいつまでも心の底で消えない。
したがって一方では極端に自信喪失している人が、他方では信じられないくらい
傲慢であったりする。気が引けて他人に一分も待っていてもらえないような人が、
他方では世界は私に奉仕すべきであるというような感じ方を隠し持っている。
内づらと外づらの極端な違いもこのためである。
幼児の時、世界が自分に奉仕するのは当然と受け取る。
しかしそのように扱われなかった。そこで自信喪失する。
ところが世界は私に奉仕してほしいという甘えの欲求そのものは、その人の中で
消えずに残る。
具体的な人を前にしては、どちらかというと自信喪失と不安が全面に出ることが多い。
しかし具体的な人とのかかわりあいを欠いたところでは傲慢さが出ることが多い。
あるいは内づらを見せてもいいような人、甘えられる人を見つけた時は、
傲慢さや極端なまでの自己中心性があらわれてくる。
会社ではビクビクして絶えず他人に迎合しているくせに、奥さんに対しては
愛人の存在を認めろというようなことを平気で主張する。
そしてそれが認められないと、きわめて不当な扱いを受けたように騒ぎだす。
会社では自分が悪くないのに「すいません、すいません」と謝って歩くくせに
女性に対しては自分が悪いのに女性に謝らせようとする。
こんな男性が世の中にあふれている。