心があるかないかというのは説明するのは難しい
熟年離婚を考える奥さんから次のような言葉をよく聞く。
「夫との生活になじめない」「生活に温かさがない」「夫が何となくよそよそしい」
「日常の会話が単なる言葉のやり取りにすぎない」等々である。
結婚生活に自分の居場所がどこにもないのである。
そこで快楽に走る奥さんも出てくる。
結婚生活から意味や感動が全く失われている。
要するに奥さんは夫が気に入らないのである。
しかし夫の給料が安いというのと違って夫が気に入らないというのは
なかなか客観的には説明できない。
「気」という言葉を人は毎日当たり前のように使っている。
しかし「気とは何か」と聞かれればなかなか答えられない。
「気に入らない、気があわない、気が休まらない、気になる、気がつく、
気が滅入る、気が気でない、気が多い、気が変になる」などである。
「気」はお互いの関係を決めるのに根本的なことである。
相手がギャンブル好きで自分が嫌いでもお互いの関係は維持できる。
相手はギターが好きで自分は音楽が嫌いでもお互いの関係は維持できる。
個々の問題の好き嫌いはお互いに努力すれば快適な関係を維持できる。
しかし「気」がないのでは、努力してもお互いに快適な関係を
維持するのは難しい。
「心」という言葉も人は毎日当たり前のようにして使っている。
心もお互いの関係にとって本質的なことである。しかし客観的な説明は難しい。
「あいつは人柄がいい」というのも同じである。
なかなか具体的にはその内容を説明できない。
客観的にとらえようとすると消えてしまう。
しかしお互いに快適な関係を維持するためには人柄は根本的なことである。