幼児よりも心理的には生きる能力はない

現実の危害がないからといって、誰もが安心して生きていられるわけではない。
現実が平和で何の危険性がなくても、人は不安で生きられなくなる。

安心感とは心の問題で、外側の世界の危険の問題ではない。
安心して生きる、それは心の問題である。

人間は生まれたときに幼児的願望を持っている。
その状態を心理的に零歳とするならば、人によっては二十歳になったときには
マイナス二十歳になる。

生まれたときには破壊的メッセージは与えられていない。
したがって、心理的には幼児のときのほうが生きやすい。
幼児のときのほうが生きる自信がある。

生命力の豊かな人は、うつ病になるような人や、ノイローゼの人に、
「もう五十歳でしょう」という主旨のことをよく言うが、彼らは幼児よりも
むしろ心理的には生きる能力がない。

だから、五十歳になって、うつ病になったり自殺したりする人も出てくるのである。
生まれてから、日々、幼児的願望のほうは満たされないままに、
破壊的メッセージによって生きる能力を奪われ続けたのである。

世の中の普通の人は、彼らを五十歳と見る。
外側だけで五十歳と見る。

しかし、彼らの心は壊れている。
その壊れた心は外からは見えない。

そこで、あの人はマイナス五十歳ということが、どうしても理解できない。
その行き違いが、神経症者やうつ病の人を、いよいよ絶望感に追い込んでいくのである。

いちおう社会的にまともに働いている五十歳の人を、心理的にマイナス五十歳として
扱うことは、世の中の普通の人には難しい。

彼らは、自分で自分を救うしかない。
そのためには親から与えられた破壊的メッセージを意識化して、
それを繰り返し頭のなかで否定していくことである。

自分は生きる価値がある、自分は誰にも気が引ける必要はない。
自分は皆に嫌がられていない、自分は安心して生きてよい。
このようなことを、これでもかこれでもかと繰り返し自分に言い聞かせることである。