満たされざる一体化願望の代償的満足

よく子ぼんのうというと、子供にとって素晴らしい親という
イメージがある。

しかし、実は子ぼんのうの親は、むしろ子供の心を
理解していない場合が多い。

うつ病になった人や神経症に苦しむ人が、過去を回顧して、
自分の親は子ぼんのうだったけれど、子供の心を理解して
なかったと言う時がある。

つまり、親は子供を可愛がったつもりでいる。
そして多くの場合、子供も可愛がられたと思っている。

しかしそんな親子関係からなぜ歪んだ大人が出てくるのか。
もし子ぼんのうといわれる親が、子供をほんとうに愛しているなら
心の病んだ大人が成長してくるはずがない。

子供を可愛がる動機が問題である。
間違いなく子供を愛している場合は問題がない。

問題となる親は親自身の親との関係に原因は遡れる。
親自身が幼い頃、自分の親との間で一体化願望が満たされていない。

十分に親に甘えることができて、親との一体化願望が満たされて
成長してきていない。

この親の満たされざる一体化願望が問題なのである。
この過去において満たされなかった一体化願望をどのようにして満たすか
という時に出てくるのが自分の子供なのである。

自分の子供に一体化していくことで、満たされなかった一体化願望を
満たそうとする。もちろん子供は可愛い、けっして可愛くないわけではない。

しかし問題は、その子供を可愛いという気持ちが一体化願望と結びついた時
子供をベタベタに可愛がるということになるということである。

子供が可愛いという気持ちがあるだけに、自分のやっていることが
子供にとって害があるとは想像できないのである。

子供が成長してきて、自分から離れていくことは許せない。
いつまでも子供を幼稚にしておこうとする。

子供が幼くてはじめて一体化願望の満足は得られる。
そこで、子供が社会的に成長していくことは望んでも、
精神的に成長していくことは許せない。

子供はベタベタに可愛がられた過去からして、
親の期待にそむくことは良心の呵責を感じてできない。

親は子供を激しく可愛がっているつもりでいながら、
自分の一体化願望を満足させるのに熱心にすぎない。

もっとハッキリとして言い方をすれば、自分の核心にある
欲求不満のはけ口を子供に求めているにすぎない。

したがって、子供の心を理解するなどということはとうてい不可能である。