責任転嫁が恨みの感情に姿を変える
人間だから誰でも失敗はする。失敗をしない人などいない。
そして失敗をした時に100%自分が悪いということもあまりない。
自分の方に70%原因があり、相手に30%の原因があるかもしれない。
もしかすると、90%自分が悪くて、相手は10%しか悪くないということも
あるだろう。いずれにしても、その割合が変化するだけである。
だから何かがあったときに相手を責めることはできる。
しかし最後には、責任転嫁をした人の方が苦しむ。
人を恨むというのは不愉快な体験である。
およそ幸福感とは異なった感情である。
恨んでも恨んでも、恨みの気持ちは晴れないのである。
泥沼のように恨みの感情の中に埋没していく。
表現されない敵意が心の底にとぐろを巻いている。
人を恨んで解決することは何もない。
人はある一つのことだけで責任転嫁をするということはない。
仕事のことで責任転嫁する人は、恋愛の揉め事でも恋人に責任転嫁をしている。
つまり、原因は心理的な幼児性だから、あのことでもこのことでも
責任転嫁している。
したがってあのことでも人を恨み、このことでも人を恨んでいる。
ついには友達を恨み、恋人を恨み、上司を恨み、会社を恨み、
妻を恨み、夫を恨み、部下を恨み、同僚を恨み、社会を恨み、国を恨む。
やがて恨みがその人の性格になる。
最後には一般的に人を恨み、自らの人生を恨むようになる。
そうなったら地獄である。
「何で俺だけが、こんな酷い目に遭わなければならないのだ」と
恨みを持って、人生の最後の日を迎えなければならない。
他人から見れば羨ましいような老後を送りながらも、人を恨んで
地獄の晩年を送っている人がいる。
そういう人は自分の人生の様々な失敗の原因をみな人に
責任転嫁して生きてきたのである。