もっともらしい理屈をこねまわす大人はたいていケチである
小さな子供はケチである。弟が何か親からもらえば兄は不満になる。
自分が損しなくても、弟が得したことは許せない。
憤然として兄は親に抗議する。
そしてそれは大の大人だって同じことなのである。
自分に何の影響もないことでも、自分の関係する他人が得をすることは許せない。
しかし大の大人はなかなかこれを、九歳の兄のように素直に表現できない。
そこでもっともらしい理屈をつける。
自分でもその理屈をもっともだと思っていたりする。
自分はケチな人間だと認められない。
もっともらしい理屈のつかない時は、なんとなく不愉快になる。
自分より他人がほんのちょっと得したというだけで、そんなに
自分は怒っているのだと気づかない。
色々もっともらしい理屈をこねまわす大人はたいていケチである。
そして自分のケチに決して気づこうとはしない。
そこで何か分からないけどよく不愉快になるのである。
あるいは不機嫌に苦しむのである。
「何か分からない」のは自分に嘘をついているからである。
心の底では何だか分かっている。
ただ意識の上で分からないだけである。
実際は幼稚でケチな人間なのに、立派な大人だと意識の上で
錯覚しているから「何でだか分からない」のである。