自分の要求の物凄さに気づくことから始めなければならない

相手に合わせることができる人は、要求の少ない情緒的に成熟した人である。
ただし相手に合わせることと相手に服従すること(自己喪失)とは、
全くの別物である。

自己喪失は相手に対する恐れから起きるが、相手に合わせることは
愛情から起きる。

一方、情緒的に未成熟な人は、相手が自分と同じ反応をしないと傷つき、
怒り、不安になる。がく~(落胆した顔)

要求が多いということは、基本的に依存心が強いということである。
相手の態度が自分の幸せを支配するからである。exclamation

相手に合わせることができる人は要求の少ない人である。
相手に合わせることのできない人は要求の多い人である。

要求が多いとどうしても相手に、「こうあってほしい」「こうして欲しい」と
いう願いを出さざるを得ないだろう。

小さな子供が親に要求が多いのは、このためである。
親の態度に幸福が依存しているからである。手(パー)

依存的傾向の強い人や神経症者が幸福になるのはかなり難しい。
他人に対して「こうあって欲しい」という要求が強いからである。

特に近い人に対する要求は物凄いものがある。
我が儘な自分の受け入れを無限に要求し、自分のした些細な親切にも
感謝をほしがる。パンチ

そしてその要求が受け入れられないと、相手に敵意を抱く。
神経症者は、自分の要求の物凄さに気づくことから始めなければならない。

自分が幸せになれないのは、相手が問題なのではなく、相手に対する
自分の要求が多すぎるからだと気づく必要がある。exclamation×2

そしてもし自分が逆に相手の立場にいたら、自分のような人間と
付き合うだろうかと自問してみることである。

「いつもチヤホヤされていなければ気持ちがもたない」
「いつも自分のことばかり言っている」「すぐに傷ついて不機嫌になる」

恐らく最も付き合いたくない人間ではないだろうか。exclamation&question
そう考えて相手に対する要求を制限してみることである。

自分の要求通りに反応しない相手を責めていても、幸福は訪れない。