人のやさしさを感じることができない
自己蔑視した人は、自分が何かしたとき、皆が自分の達成したことを話題にし
賞賛しなければ不愉快になる。面白くない。気持ちが塞いでくる。
自分が誉められれば気分は高揚し、自分はすごい人のように感じる。
逆に、けなされたり無視されたりすれば、落ち込んでしまう。
彼等は、他人が自分に対してどのような態度で接しているかに
自分の気持ちの安定、不安定がかかっている。
周囲の人の自分に対する態度に一喜一憂しているのが自己蔑視している人である。
その態度とは、相手がやさしいか冷たいかではなく、自分を誉めてくれるか
見下げるかである。
だから、自己蔑視した人は、ずるい人に騙されるのである。
黙ってお茶を入れてくれるやさしさよりも、「すごいなー」という安易な
賞賛の言葉で癒されるからである。
要するに、自己蔑視している人は、相手と全くかかわっていない。
だから、人に対してやさしくないし、人からのやさしさを感じることもない。
やさしさはかかわりである。
相手が自分とかかわってくれるということは、やさしさである。
人からのやさしさを感じることができない人は、また、自然のやさしさを
感じることもできない。
自然のやさしさを感じることができれば、心が傷ついたときでも
風のやさしさを感じて、「あー、生き返った」と思えるのである。
やさしい人は、自然が何も語ってくれなくても、自然から心から
突き上げる勇気をもらう。
そして、「自然はすごい。生きる勇気を与えてくれるんだから」と思う。
自己蔑視している人は、秋が来て道が落ち葉で黄金の絨毯になっても、
「これがお金だったらいいなー」と思うような人である。
自己蔑視している人の中には、真面目で仕事熱心な人が多い。
でも、自然から生きる勇気を与えてもらえない。
自然の中に身をゆだねることができない。
だから、悠久な時の流れを感じることができない。
やさしい人は、悠久の時の流れを感じるから、自分の存在は虫の鳴き声よりも
小さい存在ではないかと、自分の存在を相対化できる。
そこで、自分の苦しみを受け止め、それに意味づけをする。
そして、時が経てば元気になる。