人は公の場所でも、私的な場所と同じように振る舞っていいというのではない

人の社会は「オモテとウラ」が相互補完して成り立っている。
人には慎み深い面もあれば、だらしのない部分もある。

社会人というのは、ここでは自分のどの面を出していいのかの判断がきちんとできる人である。

人はわがままを言ってはいけないというのではない。
わがままを言ってもいいが、それは時と場所を選ばなければいけない。

人は家の中と家の外で同じでいいというのではない。
家の中では許されるが家の外では許されないこともある。

普段着で出かけていいところと、普段着で行っては失礼にあたるところがある。
だから、その人の前で何もかも自分を出せる人は少なくてよい。

その人の前でリラックスできる人は多くないのが当たり前なのである。
しかし、人間関係の距離が分からないと、ありのままの自分を隠してしまうという悩みになる。

「今度生まれ変わるときは、ありのままの私を受け入れてくれる世界に
生まれ変わろう。だから、現世はあきらめようかしら。早く死にたい。
毎日一回はそう思う」と大袈裟な話になる。

世の中で生きているのだから、それほど何もかも自分の思い通りにいくものではない。
何もかも自分の思う通りにいくと思っているのがナルシストなのである。

「ありのままの自分」を出せないのは、誉められたい、注目されたいという
自分のナルシシズムであることが分かっていない。

ありのままの自分を出せないと悩んでいる人というのは、
公の場所でも、親しい人だけがいるところと同じように振る舞おうとする。
そして、そのように振る舞えないと言って悩んでいるようなものなのである。

つまり、こういう人は、ラーメンを食べて、お寿司を食べて、ステーキを食べて
食べ過ぎたのでおいしさの味がわからなくなっているようなものである。
その上で、「どうしたらおいしいものを食べられますか?」と聞いてくる。

ラーメンを食べる場所では、ラーメンを食べる。
ラーメンを食べる場所に行きながら、ステーキを食べれないと悩んでいる。

つまり、誰と接していても、自分は誰と接しているかということが分かっていない。
もし人間関係はそれぞれ距離が違うと理解できれば、「この人」に対しては
「私はこういうように振る舞うのが適当」ということが分かってくる。

ナルシシズムを解消するためには、常に相手から見て自分はどの位置にいるかを
考えることは重要である。