大切なのはこだわらないことである

心が満足していれば、許せない人を見て、この程度の人間かと思うことができる。
言葉は悪いが、馬鹿を相手にしている場合じゃないと思える。

相手の対応が同じように悪くても、平気で受け取れるときと、悔しくて眠れなくなるときがある。

心が成長しているときには、「あの人はこの程度の人間」と、心の中で相手を割り切れる。
逆に自分の目的をしっかり持っていない人は、「俺を舐めたな」という怒りに振り回されてしまう。

「俺を舐めたな」と悔しがり、その事柄に深入りすればするほど、それは重大な問題に発展する。

どっちでもいいことが次第にどっちでもいいことではなくなってくる。
どうでもいいことが、次第に感情的に重要な問題になってくる。

皆が自分に同情してくれると思ったのに、期待に反して、周囲が自分の思うように動かなくなる。

するとそのことにも腹が立ってくる。
そうしている内に次第に感情的に、許せないという気持ちが強くなる。

あれも悔しい、これも悔しいとなって、憎い人が増えてくる。
そこで感情的に絡む人が増えてくる。

大切なのは、こだわらないことである。
事が起きたときに、普通はまず感情が先行してしまう。

そして感情に流されて行動することで、心の中の憎悪が次第に膨れあがっていく。
そしてその膨れあがった憎しみの感情の中で心身共に消耗する。

やがてストレスから体を壊す。心理的にも衰弱する。
相手の手のひらの上に乗って、自分で自分の墓を掘る。自滅する。

感情が先行すると最後には、あの人に復讐できさえすれば、
後はどうなってもかまわないという気持ちになる。

トラブルで一番怖いことは、感情の処理を間違えることである。
その憎しみの感情を抑えきれるか抑えきれないかによって、人生は地獄にもなるし、天国にもなる。