不自然な使命感が生まれる背景

劣等感の強い人は、罪悪感も強いとよく言われる。
劣等感の強い人は、相手の要求がたとえ不当なものであってもついつい従ってしまう。

劣等感の強い人にとって他人の評価は重要である。
劣等感が強いから相手から嫌われるのがイヤである。

劣等感が強いから強がりがある。劣等感が強いから頼まれたことで自我の高揚がある。

その他諸々のことから、劣等感の強い人は相手の要求に屈しがちである。
ところが、本当の自分はその要求に従うことがイヤである。

相手の要求に従った行動をしてしまったことで、心の中には何となく
相手の言うことを聞くことが論理であるというように、どうしても人は感じてしまう。

この二つの衝突が罪責感を生み出す。

劣等感の強い人が不自然な使命感を持ったり、激しい異常な倫理観を
持っていたりするのはこのためである。

他人のちょっとした行動を激しく責める。
それは自らの内なる葛藤のスケープゴートとして、他人のちょっとした
行動を責め立てるのである。

他人のちょっとした行動を常軌を逸したように責めることで、
一時的に葛藤の苦しさから逃れているのであろう。

他人の行動を論理的に責めていれば、その間だけは自分は論理的に
許されるような気持ちになり、その間だけは心の葛藤から解放される。

自分にさして関係のないことで他人を常軌を逸したように責めるのは、
その人がいかに葛藤に苦しんでいるかを示している。

従って劣等感を持っている人の倫理的言動には一貫性がない。
あるところでは激しく他人の利己的な行動を責めたかと思うと、
ある別の所では他人の利己的な行動そのものに気づくことさえしない。