会っているだけで楽しい人はいるか
幼い頃、「その人といると楽しいという人といる」ことは重要である。
そういう人がたくさんいれば、青年期に自我が確立できている。
ところが幼い頃から大人になるまで、そういう人と一緒にいなかった。
その結果、自我の基盤が脆弱になる。それ以後は悪循環である。
自我の基盤が脆弱だから、周囲の人から認めてもらえるような人とかかわっていく。
一緒にいて楽しくない人と一緒にいることで、自我の基盤がますます脆弱になる。
そして自己疎外される。
その結果、ますます自分の内面の空虚さを補うために、
周囲の人が認めてくれるようなことをしようとする。
楽しいことをしても基本的不安はその場ではなくならない。これもまた悪循環である。
その場での安心を求めて内面がどんどん崩壊する。
一緒にいて楽しい人といるか、一緒にいて楽しくはないが、
自分が認めてもらえる人といるかの選択で、基本的不安がある人は
常に一緒にいて認めてもらえる人といるほうを選択する。
人は不安を回避するために楽しいことを放棄する。
しかし楽しいことをすることで自我は確立してくる。
うつ病者はこの、人としての矛盾を自覚して乗り越える以外にない。
うつ病になった段階で、幼い頃からの自分の人間関係をじっくり反省してみるしかない。
あの人と付き合っていたのは、楽しいからか、それとも周囲の世界から
認めてもらいたいからか。
あるいはあの人といる時は、何も成果を求めていなかった、
会っているだけで満足していた。そういう人がどのくらいいるか?
うつ病者には、おそらくそういう人は誰もいないであろう。