たいしたことをしていない他人を尊敬する
うつ病になるような人の問題は、自分のした偉大なことを偉大と思わないことである。
実際には凄いことをしているのに、凄いことをしているとは感じられない。
あるうつ病的傾向の強い人である。様々なトラブルを乗り越えてきた。
彼は二十代の時に、父親が事業に失敗して逃げてしまった。
彼は家族を抱えて家の借金を処理した。
それ以後も次から次へと起きるトラブルを夢中で乗り越えてきた。
それにも拘らず、乗り越えることができたという体験が自信につながっていない。
二十代の若さで膨大な借金を処理したという実績を彼は評価していない。
彼は、自分はそこまでダメな人間であると小さい頃から思い込まされていた。
自己評価の低い人の問題は、凄いことをしても凄いことをしたと思えないことである。
低い自己評価の人は、その低い自己イメージにあうようにしか
自分のしたことを評価しない。
人は自己イメージにあわないことは心の中で受け入れない。
また自分のしたことを自己イメージにあうように解釈をしてしまう。
するとどんなに凄いことをしても、それを凄いことと感じない。
たいしたことではないと解釈する。それは自分がしたことだからなのである。
その自分とは低い自己評価の自分である。
これと正反対なのが神経症的自尊心の持ち主である。
何の実績もないのに、自分は凄いと思っている。
この両者に共通するのが内面の空洞である。
いずれにしてうつ病になるような人は、自分の過去をもう一度冷静に評価することである。
低い自己評価で生きてきているから、「俺は凄い力がある」という
感覚が不気味なのである。そういう感じ方に慣れていない。
慣れた感じ方は「自分は大した力がない」という感じ方である。
しかしうつ病的傾向の強い人は多くの場合、とてつもないことを現実にはしている。
本当は力があるのに、力がないと感じてしまう。
これがうつ病的傾向の強い人の大問題である。