何が好きであるかが分からなくなっている
鬱病者のアイデンティティーとしてよく言われることは、
役割アイデンティティーが強いということである。
人格が役割に吸収されてしまう。
役割において自分の存在や価値や意味を感じることができる。
自我が弱いから役割でしか自分を感じることができない。
だからこそ、その人にとって会社のポストがことのほか大きな意味を持つのである。
役割あっての自分、そのような役割の意味の大きさがあってこそ、
例えば部長になれば猛烈に働く気になる。
しかし、頑張っているけれどもすぐに気力がなくなり、消耗するばかりになる。
今の状況の中で情熱が失われてくる。努力は何も生み出さなくなる。
会社のためにきつい仕事をいつも引き受ける。なぜ、引き受けたか?
体を壊しても人に認めてもらいたかったのである。
燃え尽き人間は好きなことをしていない。
すでに何が好きであるかが分からなくなっている。
好きなことをしていないから成果を求める。
しかし、その成果が思うように得られない。
好きなことをしていれば、成果が得られなくても満足するところがある。
また、成果を得てはじめて人から承認される。
したがって、成果が得られなければ、していることの意味がない。
それなのに成果が思うように得られない。
辛い努力が無駄になるから憔悴する。イライラする。
もともと仕事を安易に考え過ぎているところもある。
分不相応な目標というのははたから考えることで、
本人はそれほど分不相応とは思っていないかも知れない。