意識されていない屈辱感

同じ体験をしても、ある人は屈辱を感じ、ある人は感謝をする。
もちろん感謝をする人の方が心は穏やかである。イライラはない。

では何故、ある人は同じ体験をしても屈辱を感じるのか?
それは過去の隠された復讐心を刺激されたのである。

成長の過程で、色々な屈辱を受けた。
無視された、バカにされた、利用された、理解してもらえなかった、
感情的に虐待された等々の様々な屈辱の体験がある。

それらの全てが本人に意識されているわけではない。
それらの意識されていない屈辱感の中で人は生きてきている。

積み重ねられた屈辱感が無意識の領域にある。
知らないうちに積み重ねられた屈辱感の膨大な量に、人は気がついていない。

何故、自分はこんなにも広範な事柄に不満なのか?
それはおそらく意識されていない屈辱感が原因であろう。

一つ一つを意識していたら、あまりにも苦しくて生きていけない。
そこで意識から追放しながら生きてきた。つまり膨大な屈辱感を抑圧しながら生きてきた。

しかし実は、幼い頃にその意識されない屈辱の体験をするたびに、
無意識ではきちんと代価を払っていたのである。

その時にはうまくやり過ごしたと思っても、神経症という代価を払っている。
意識の世界では何とか困難を乗り越えたけれども、無意識の世界で問題は解決していない。

その結果、日常生活に影響が出る。それが慢性的な不満であり復讐心である。
もちろん本人は、今何かに腹を立てた時に、その本当の原因が昔の屈辱の復讐性とは理解していない。

それに怒るに十分な理由があって怒っていると思っている。本人は目の前の相手が悪いと思っている。
自分が、相手の言葉で傷つけられたと思っている。だから、自分が相手に怒るのは当然だと思っている。

自分がこんなに怒っているのは、自分の隠された復讐心だとは思っていない。