何をするにも「させられている」と感じている
受け身の人は自分が何かをすることがない。
何をするときも「させられている」という感じ方なのである。
小さな子供が勉強をするのに、お母さんのためにしてあげると言うことがある。
自分が勉強をするのではなく、勉強をさせられていると、
その子は感じているのであろう。
育つ家庭の中に強大な権威を持つ者がいて、その人を中心に家庭が
服従依存の関係を結んでいるようなときには、その人はおそらく何をするのも
「させられている」としか感じないであろう。
その人が大人になって、もはやその絶大な権威を持つ人と離れて
生活していてもやはりその人は何をするのにも「させられている」と感じてしまう。
会社に行くのも、会社で仕事をするのも、帰宅するのも
すべて「させられている」と感じてその一つ一つを済ませている。
何をするのにもそこに自分の意志を感じない。
すべて人の意志でさせられていると感じる。
帰宅させられているとは、どういうことかと思われるが、奥さんの意志なり、
親の意志で家に帰宅させられていると感じるということである。
従って受け身の人は、帰宅することに不満になる。
実際には帰宅したくなければ帰らなくてもいいのであるが、自分の意志で行動出来なくなっている。
何をするのも頼まれてしているのである。自分の意志でしていない。
自分の意志を感じることができない。
自分の意志でしていなければ自分の責任はどこにもない。
何をするのも自分の意志ですることが出来なくなっている。