自分を見失うと誰も構ってくれない

悩んでいる人は、誰も私を助けてくれないと、よく周囲の人を非難する。
周囲の人から始まって、人間一般を非難する。

しかし、自分が周囲の人をそのように追いやってしまっているということには気がつかない。
つまり、悩んでいる人は自分は相手が嫌がることをしているのだというようには理解できない。

周囲の人が冷たいのではない、
その人があまりに自己中心的で、エゴイストすぎるので、周囲の人が悲鳴を上げて逃げてしまったのである。
悩んでいる人は、愛されることばかり求めている。自分のほうから他人を愛そうという能動性がない。

私を愛して欲しいという受身の立場にしがみついている。
自己中心的な姿勢、受身の態度こそが、他人が自分をどう思うかという心配の真の原因である。

よく思われなければ、愛されないと思い込んでいる。
他人に愛情飢餓感から絡むのを止めた時に、他人が自分をどう思っているかが気にならなくなる。

自分の悩みを大層なものに感じている。そして他人に絡んでいる。
他人が自分の悩みを大層なこととして扱わないと不満になる。
幼い頃の親なら、子供のことをなんであれ、大層なこととして扱う。

しかし大人になれば、些細なことは些細なこととして扱われる。
すると、大層なこととして扱わない人々に不満を持つ。

悩んでいる人は、自分の悩みを大層なことのように話す。
自分の悩みを大層なことと思っているのである。物凄く深刻ぶって話す。

確かに本人にとっては深刻である。そのことはいい。
しかしそれは同時に、他人から見れば掃いて捨てるほどある話の一つにすぎないということに気がつかない。

悩みから救われるのは、他人から見た自分を理解できた時である。
他人に迎合し、自分を見失い、悩んでみても、誰も構ってくれるわけではない。

そのことに気がついた時から、他人に自分をよく見せようとする
愚かなエネルギーを使わなくなる。他人の成功がその人を傷つけなくなる。

自分一人が困難を背負って生きているのではなく、他人もまた困難を背負って
生きているのだということが理解できた時、人は救われる。