心理的アキレス腱はトラブルを通してしか理解できない

夫婦の間ではトラブルこそお互いを理解しあうチャンスである。
トラブルがなければお互いを理解しあう機会はない。

「理解しあうためにはケンカは必要でない」と思う人もいるかもしれない。
しかしお互いにうまくいっている時に、日向ぼっこをしながら話をして
理解しあえるほど人間は単純な動物ではない。

もちろんそのような環境で話をすることが無意味だというわけではない。
それは幸せなことであり、そのような時間を持ってこそ夫婦である。

そのような望ましい環境で話し合い、お互いに理解しあえればそれに越したことはない。
だが現実にはそう簡単にいかない。

自分のどのような言動が相手を傷つけたか、
自分は傷つけるつもりなど毛頭ないのになぜこれほど相手は傷ついたのか、
相手の心理的アキレス腱はトラブルを通してしか理解できない。

なぜ相手がそこまで傷ついたかという理解こそ、相手の心を理解するポイントなのである。
そのように相手を理解しようとする姿勢があってこそ相手を愛しているといえる。

相手が傷ついて怒った時に、こちらもただ腹を立てるだけであるなら、
相手を愛していると言えない。相手を理解したいと望めば当然相手に注意がいく。

そして何かトラブルが起きた時には、相手は自分が想像するより
はるかに深く傷ついていると思ったほうが正解である。

自己中心的な夫や妻は相手の辛さを甘く見る。
自己中心的な人は、自分がどのくらい人を傷つけているか、気がついていない。
したがって色々なトラブルが出ても最初はたかをくくっている。