自分の気持ちをぶつけることへの罪悪感
自分に正直になるということは想像以上に難しい。
人は自分の望まないことを意識から排除しようとする。
心の底では怒りや不安や葛藤が渦巻いていても、すべてがうまく
いっているようなフリをすることがある。
本人は自分の心の底にある実際の感情を意識するのが怖い。
親に対して憎しみを持っている。しかし意識するのが怖い。
心理的に親に依存しているのだから、親への憎しみを意識したら不安になる。
そこで憎しみの感情を抑圧する。
敵意は服従関係に危険である。服従し、心理的に依存している人に敵意を
持ってしまったら、その関係はきわめて不安定になる。
そこで敵意を抑圧する。心理的に一人になると怖いから敵意を意識しない。
服従する者は、相手から気持ちを押しつけられることに慣れてしまっている。
自分が相手の気持ちに従うのは当たり前だと感じてしまっている。
相手の気持ちにいつも従っているうちに、いつの間にか、条件反射的に
自分の気持ちを抑え、相手の気持ちに従ってしまう。
自分の気持ちを相手にぶつけることが悪いことのように感じる。
自分の気持ちを相手にぶつけることに罪の意識を感じる。
相手に、今自分はこうして欲しいということが言えない。
すぐに相手はそうすることを嫌がっているのではないかと思ってしまう。
そのようにいつも自分の気持ちを抑えていると、いつの間にか自分の
気持ちなどは重要でないのだと感じるようになってしまう。
相手に対する思いやりや愛情から自分の気持ちを抑えるというのは
情緒的成熟かもしれないが、相手に対する恐れから自分の気持ちを
抑えるのは情緒的未成熟である。
相手に対する恐れから自分の気持ちを抑えるのは、本質的にはまだ
わがままな人間である。
心の中は小さな子供と同じようにわがままでありながら、表面違った行動を
しているにすぎない。
すると次第に自分でも自分の気持ちが分からなくなってくる。