周囲の世界が敵だと感じている
「理想の自我像」実現という言葉だけ聞くと、いかにも理想に燃えた人生のように思える。
いかにも肯定的な姿勢に見えるが、実は人生に対して否定的でしかない。
「理想の自我像」実現のための努力の動機は、強迫的恐怖感である。
得体の知れない巨大なものに襲われそうな恐怖感である。
したがって「理想の自我像」を実現しようとしている人は、自分のことだけにしか関心がない。
自分のイメージにこだわっていて、人のことにまで気が回らない。
逆に、理想に燃えた人間と思い込んでいたりする。
人は不安なときに理想にしがみつく。
「理想の自我像」を実現しようとしている人は、不安で不安でたまらないのである。
神経症的傾向の強い男性の中には、理想の自我像として、たくましい男をイメージする人がいる。
たくましさを求めるのは、心が傷ついているからである。
そして自分の弱さを隠そうとして、「たくましさの倫理」に陥っていく。
弱さを表現できない人は、周囲の世界が敵だと感じている。信じる人がいないということである。
強いこと、厳しいこと、精力的であること、苦楽の感情を表に出さないことは
男らしいことであり、よいことなのだという信念を、燃え尽きる人は持っている。
強いこと、厳しいことは別の視点から見れば、冷たいことでもあるかもしれない。
男らしいことは別の視点から見れば、心がふれあわないことかもしれない。
虚勢を張っている人は、物事を一つの視点からしか見られない人間である。
女性の場合でも同じである。
不安な女性は、もっと美人なら私は皆に受け入れられ、誉められると思っている。
男らしいことが女らしいことに変わるだけである。
男らしいこととか、女らしいことに否定的になる人がいる。
それは性の責任から逃げているだけである。